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街道脇まで棚田が広がる













































撮影スポットで手芸品売り


























































写真未だ開けず































































































































































































































































































































































































































































































































































都江堰の中学校倒壊で犠牲になった生徒達
   旅のページ


  羅平棚田
              元陽の棚田
☆掲載済み、★項目は準備中

☆羅平菜の花、黄金海(雲南省)
☆元陽棚田の旅(雲南省)
☆桂林の可愛い運転手(広西省)
☆天空列車でラサへ(チベット西蔵)
☆西双版納、水かけ祭(雲南省)
☆緊急報告!四川省大地震勃発
★格安旅行の薦め(雲南省)
九寨溝・黄龍(四川省)
★海は大海(海南島)
★五岳の一、崋山西岳(陝西省


旅のページ

人生をアクティブに楽しむ旅のコーナーです。

多忙な現役生活から開放され、未だ見ぬ世界への旅立ち!
人生が一つの旅路とするならその人生を彩るのも又旅の醍醐味です。

自由に出来る時間をより有意義に、自然遺産や悠久の歴史を辿る旅、そしてそこに息づく異郷の人々との交流、観光に留まらず長短期ステイによる体感はいつも新しい発見が待っています。

ローヤルフレッシュの管理人から発信します



現在CD内の写真を開けずに困っています。

素人の上に飼い主同様年取ったノートパソコン、
中国の辺鄙な所で教えてくれる人も居ないのです。
    トホホ、、、

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黄金の海;羅平菜の花畑の旅
当日朝小型旅遊車に十人の参加者が乗り込み
、最近整備された高速道を東へ走ること三時間余り、そこはもう満面黄色に包まれた花の海となった。聞く所によるとこの地域の菜の花畑は関東平野の広さに匹敵するとか、数日後には菜の花祭りが開催され、CCTVの中継撮影隊も入ると言う、正に春爛漫の中の旅となった。

黄金海の中を高速道路が走る










菜の花畑の中に点在する小山は恰も黄金の花の海に浮かぶ小島の様で、高台にあるお寺からの展望は左から右まで二百度の広がりがあり、遠くの小山の連峰「十万大山」まで黄色の大海原が続いていた。参加者の中には既に五回目の人も居て、この時期限りの素晴らしさを満喫しカメラに収めていた。

行く先々が花の海、見晴らしが良いと運転手に頼んで車を止めながら進んで行った。

菜の花 花小島

               見渡す限り何処までも黄色い花の海に包まれる

九龍滝

   上:九龍河滝群

      右:多依河の豊かな水流
菜花畑

豊かな水が広大な菜の花畑の源泉

この地は九龍河、多依河の豊かな水が古来の灌漑技術により利用されて蜂蜜、菜種油の獲り入れ後は、稲田としてお米の産地としても知られている。住民は古代稲作文明の創造者の一つと言われる布依族で、色鮮やかな花ご飯「五色米」はもち米を花の色素で染めたもので白の他、ピンク、ブルー、紫、黄色の見た目のきつさより自然のものだった。又魚も豊富で串刺しの大小不揃いの焼き魚も養殖では味わえない味覚だった。

実はこの最盛期ホテルも値上がりし予約も難しかったので、地元の民宿農家楽を利用する事にしていた。満室で四軒断られた後、幸い我々にぴったりの「套房」にめぐり合えた。中央にソファー、テレビ、DVDやマージャン設備の付いた広めのリビングが有り、周囲にベッド二つの小さい寝室四つと、三人部屋一つがあった。家族や仲間同士の気軽な旅では安上がりで格好の施設だ。


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元陽棚田の旅
関西のテレビ局のプロデュ−サー
を永く勤めた友人を案内して雲南省南部の元陽棚田の撮影取材に出かけた。
ここの山岳
少数民族は1000年以上をかけて連峰を開拓して稲作の為の棚田や茶畑を築き、紅河の谷から山の尾根まであたかも天に上る梯子のように各地に数百箇所の棚田を築いてきた。遠くから峰越えをして水路が開かれており、4月の田植えに向けてこの早春満面に水を張る。朝日に輝く棚田の水面、夕日に染まる天空を映す幾何学模様の棚田など絶好の被写体だ。


 中国人も高級カメラが増えた
 


当日の朝真っ暗闇の中、前日チャーターしておいた車に乗りこみ一時間半をかけて夜明けの棚田が素晴らしい撮影スポットへ出かけた。
海外の写真家に中国各地から高価なカメラを携え長期滞在する中国人富裕層も加わり、夜明けの太陽の日差し、湧き上がる雲の動き、夕焼けを映し茜に染まる棚田など飽きることなく追い続けていた。

夜明けの棚田

               棚田の夜明けは天に登る梯子が架かるかの様

茜に染まる棚田 棚田紫

        眼下に見下ろす棚田は夕焼け雲を映して茜色、紫に染まる。

更にそこから山道を
1時間半かけて奥地へ進み、当日市場が開かれる小さな街へ向かった。未だ自給自足中心のこれ等山村の小さな町では商店や市場は巡回して干支に合わせて12日に1回、比較的大きな町でも精々2回だけ開かれる。当日も近在の棚田の小さな村々の住民が竹製の籠を担いで山道を歩いて集まって来た。

    山を降りて来た娘さんたちと自家製の売り物。        育てた豚を売り、子豚を仕入れる人達。

商店の無い山村で基本的には自給自足、市が立つ日に産物を持ち寄り、替わりに我が家に必要なものを買って帰る。ここでは未だ貨幣経済では無いかの様だ。


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桂林の可愛いタクシー運転手

桂林山水天下甲と称えられる桂林は毎年日本人の旅行者10万人前後が訪れる日本人の中国旅行で一番人気のある観光地だ。
桂林から陽朔に至る漓江下りはまさに山水画の中を旅する日本人の心をとらえて離さない。水際から立ち上がる青い山と流れる水が絵巻のように繰り広げられる。


この桂林のある広西省では6月中旬から大雨と洪水のニュースが伝わり中国人の友人達も「今は行っても見れないから止めた方がいい」とアドバイスしていた。中国人の旅行団に加わって友人3人を誘っての旅行で延期など出来るわけも無く正直半ば不安の旅立ちだった。

しかし現地に着くと
3日前から天気は回復し洪水などは同じ省でも南の方の話で全く影響なかった。水の色も意外と濁りが無く岸辺の水は透き通ってきらきらと光って見えた。さすが山紫水明と称えられるのも偽り無く、心も洗われる風景を満喫出来た。

ここでは殊更桂林の素晴らしさを述べる積もりは無くて偶々拾ったタクシーの紹介をさせて頂きたい。実は我々の旅行団は往復とも寝台列車の汽車の旅で組まれていたが、我々は交渉して最後に一日自由行動の日程を加えて翌日の夕方の航空便で帰る様に変更していた。
桂林で集まった旅行者は我々日本人
4人のほか、台湾の若い夫婦が2人、江蘇省からのグループが6人、浙江省の若い女性達4人、四川省その他合わせて総勢21名が一台のバスに乗りホテル、乗船、観光など一緒に回った。

最後の自由行動の一日は折り悪く朝から土砂降りの雨となった。旅行社が案内する訪問先はお寺と小高い山昇りで天気の具合からとても外歩きは無理と見て参加を見合わせ有名な巨大鍾乳洞を見に行く事にした。

中国で旅行する場合多くの地域ではタクシーもメーターを使わず行き先により値段の交渉をして乗り込む。特に一日とか半日の利用では包車といって貸切り利用で値段を交渉する。山間地ではジープやランクル車等が必要で料金も各地まちまちだから何時も旅行先で交渉する事になる。実は偶々日本人友人から桂林の親切なタクシー運転手として紹介された人が居た。一日の貸切で200元と言うからこれだけの有名観光地では意外と高くない感覚を掴んでいた。

我々の目的地芦笛岩は市内からさほど遠くなく、その後空港へ向かう3時までの観光先は天気次第で動く事にしていた。従って包車するまでも無く片道で乗ることにして客待ちで並んでいるタクシーの中から若い女性の運転手を見つけ料金を聞いた。
「5元で行く」という返事に「
4人で乗るけど」と聞いたら「いいですよ」と軽く答えて全員が乗り込むのに一人ずつ傘をさしてくれた。

中国のタクシーは上海製造のフォルクスワーゲンが多くサンタナは少し車体が大きい。

同じサンタナでもエンジン音は軽く聞いてみたら1600CCの排気量かない。彼女は小柄で愛くるしくどう見ても20才前後にしか見えないが聞いてみたら28歳で既に子持ちの奥さんと言うのが信じられない位だった。
目的地に着くと貸し切りバスやタクシーが駐車したパーキング横の切符売り場に横付けし、再び車に乗せてかなり外れた入場口まで送ってくれた。どのグループもパーキングで下ろされて雨の降る中を歩かされているのと比べサービスの気遣いが全然違って気分よかった。帰りもパーキングまで歩かなくてよく電話で直ぐに出口まで迎えに来てくれた。


鍾乳洞の中では雨にも邪魔されず見物できたが外へ出ると雨は一段と強くなっていた。

桂林の名所で象鼻山と言われる景点があり象が漓江に鼻を入れて水を飲んでいる様に見える。それだけの風景だがここを見渡す道路わきには大きな木を植え、さらに鉢植えを配して目隠しをしている。はっきり見るには或いは写真を撮るには25元の入場料を払って川辺の道へ降りなければならない。
中国の観光地、名所旧跡は全て門票が必要でそれも60元、100元などはざらにあり、中国人の所得水準からしたら非常に高い。この象鼻山は旅行団の案内は中まで入らず遠くから眺めただけだったため天気がよければこの日に回ることにしていた。時間はまだ十分あるが雨降りでは外歩きは出来ずこの可愛い運転手に相談して見たら直ぐに嬉しい返事が来た。

「象鼻山だけで25元払うのは勿体無いですよ。桂林市区の遊覧船に乗れば10箇所の景点を回って40元で済みます。第一雨が降っても客室でゆっくり出来ますよ」


この遊覧船は大正解だった。船が動き出すまでと休憩時には漓江小魚と小海老のから揚げを肴に一本10元のビールを交渉して8元で楽しめた。船が動き出す頃は雨も降り止み各景点では船を止めて上のデッキに上がって写真タイムが取ってあった。
1時間半の遊覧は雨も気にせずゆっくりと山水を堪能した。旅行社やホテルの推奨する先はお金の取れる所が主体だがこの地では山水に勝るものは無い。

船着場で迎えてくれた可愛い運転手は1日の貸切で50元で我々は9時から午後1時半までの利用だから30元で良いと言う。150元の売り上げでは1月1500元にしかならず車の償却費、燃料など引いたらどうなるのか心配なくらいだ。帰り道に「宝石屋に寄れば10元貰えるから、買わなくていいし入るだけでいい」と言うので時間は余り無いがせめて親切な彼女の為寄ることした。
その後ホテルに帰り着いて
30元渡すと「10元は宝石屋で貰ったから良い」と言って20元だけしか受け取らなかった。

旅行団に参加すると必ず宝石店、薬屋、お土産屋に連れて行かれる。人数割りで案内料が入るし、売り上げのリベートも入る。日帰り旅行でも最低三軒は寄るしそのお陰で旅行費が幾分割安になると同時に何も買わないお客にとっても綺麗なトイレの利用などの利点はある。

しかし一般には旅行社、ガイドにとってこの買い物案内こそ最大の収入源で観光の時間は割かれてしまう。中国では各地の博物館さえも大きな売り場を設けているしどこまでが観光施設でどこが商売なのか分からない所もある。有名寺院でも各自の運勢占いが渡され、不吉な内容ならお祓い料から100元の蝋燭までも勧められる。


何時も「お金、お金」と要求される旅行の中、今回出会ったタクシー運転手の何と可愛くて親切で良心的だったことか。桂林へ旅行されるなら是非彼女の車、案内がお勧めだ。

彼女の名は: 羅司機(ルオ運転手)携帯番号:1309793xxxx。

皆さんの楽しい旅を祈ります。

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天空列車で行くチベットの旅

5000m越え、天空を駆ける列車

200671日、青蔵鉄道の格爾木(ゴルムド)と拉薩(ラサ)間1142kmが開通した。1142kmの中、960kmが海抜4000m以上で最高点唐古拉(トングラ)山では5072mに達する世界一の天空列車だ。低酸素、低気圧、厳寒の環境で凍土の区間が550kmに及び、季節により膨張、陥没する不安定な表土の上に156.7kmは特殊な橋を架けて線路を通した。




三国志、杜甫草堂等でお馴染みの成都を出発した列車は、チベットラサへ向かって高度を上げて行く

又この地区は国家級の自然保護地区が各地にあり、動物の季節ごとの移動にも支障のないよう動物用の通路も作られた。

ココシリ

中国最大の湖、青海湖の夕暮れから一夜明けると列車は凍土の5000m地帯に達する。チベットカモシカなど野生動物の姿が現れる度に車窓から歓声があがった。

この青蔵鉄路は厳寒、低酸素、低気圧の自然環境の中を航空機並の空調設備を備え快適に駆け抜ける夢の高原列車である。
6000m級の万年雪の連山、緑のチベット高原、碧玉の湖など車窓に写る自然のパノラマに心躍らせながら向かう聖都ラサへの旅、2007年の夏中国に住んで当時5年の私もまだ見ぬ天空列車の旅の計画に興奮していた。

ヤクの放牧 車窓に映る碧玉湖

草原に放牧されたヤクの群れ、車窓に現れた碧玉の湖は青い空、白い雲万年雪の山が映える

青蔵鉄路の路線は北京発が毎日ありその他に上海、広州、成都、重慶発が隔日運行されている。20074月の改正で鉄道路線の全面的スピードアップがされたが一番早い成都からで45時間45分、広州からだと実に56時間の長旅となる。何れも新開発の新車両に乗り込み、従来路線を走って西寧からが実際の青蔵鉄路となる。

中国内陸部に住む私は成都から出発する中国人ツアーに参加することにした。往路を青蔵鉄路、復路は成都に戻らずに別手配の航空便で直接帰る78日の旅となった。
外国人の場合中国の滞在ビザのほかに入蔵(チベット訪問)のビザが必要で、ビザ無しでは乗車券も買えない。従って内陸部に住む人にとって青蔵鉄路の往路の入手は上記始発都市にある旅行社に依頼するしか方法がないのだ。


聖地の寺院と青い空、白い雲、緑の草原、碧玉の湖

夕刻ラサ駅に降り立つ。富士山の頂上に近い標高で低地から着いた人には高地反応と酸素不足で息苦しさを感じる人も多い。この初夏の季節中国の最西端にあるこの地は9時半まで太陽が降り注ぐ(中国は全国北京時間で統一)から夕方6時と言ってもまだまだ真昼間だ。着いた当日は軽い市内散策と食事で時間を潰す。

翌日は高地に順応するため観光団はラサ市内の寺院周りのコースが殆どだ。山の斜面に立つ壮大なポタラ宮、総面積41km2、部屋の総数は1000を超え、歴代ダライラマの霊塔の部屋がある。5世の霊塔は高さ17m5トンの黄金を使用し、ダイヤやメノウがちりばめられているそうだが、時価は一体幾らになるのか想像も付かない。

世界遺産ポタラ宮 ポタラ宮

チベットのシンボル歴代ダライラマの居城ポタラ宮、歴代ダライラマの霊塔もすばらしい。

もう一つの世界文化遺産ジョカン(大昭寺)は巡礼者の聖地で正門脇では信者が五体投地を繰り返している。


  ジョカン(大昭寺)中庭

 五体投地:
 一生に10万回お参り


このジョカンの周囲をぐるりと巡る道がパルコル(八角街)と言うお土産から日常品までの巨大な市場で、観光客や巡礼客でごった返している。

正直言って、これら幾多の寺院見学より私がこの地で期待し又堪能できたのはチベットの自然そのものだ。青い空に白い雲、その下には周りを取り巻くような万年雪の山なみ、そして緑の草原に宝石のような湖水。天葬(鳥葬)の現場も目にした。


 上:7000m級の山もここでは直ぐそこ
      右:天上湖の先には万年雪の山
ヤムドラ湖
  右は天葬(鳥葬)の聖地、
    近くで鳥が旋回する葬儀の現場に
        遭遇した。


 
             
天葬のメッカ


人々がより天に近く、自然に近く生活しているのを実感した旅だった。

 

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西双版納水かけ祭り

タイ暦の正月415、これから始まる興奮の一日を前に祭りの朝は意外と静かに迎えた。早朝の道路はプラスティック製バケツやタライ、或いは水鉄砲を用意した若者たちの笑いが溢れていた。

祭りの朝の静かな水場

水鉄砲、タライ売り   町中至る所に水場が有る         同じ水場で水かけが始まった

正式には11時から16時までの水かけ祭りは中央広場の民族パレードが中心だが、商店街、住宅街或いは車道に至るまで全てで行われる。9時半頃中央広場に向かった所、もう水かけが始まっていた。


商店街の水かけ


暫くは進むに進めず、商店の庇の下に身をちじめていた。若い女性は格好のターゲットで直ぐに水浸し、歓声と興奮の嬌声が響きわたる。短パンにサンダル履きと用意周到の私も意を決して商店街を進んで行った。体はあっと言う間に水濡れになるがここで構っては居れない。目標の広場まで何とか辿り着いた。

広場の水かけ 水鉄砲

              最新式の水鉄砲も登場、楽しみ方も増えた。


  濡れ鼠になりながら
  笑顔と笑い声で溢れていた


車の水かけ市街戦
 市街地では車対車、大型から
 トラクターまでバトルを繰り広げる

 歩行者、バイクも狙われる


広場ではタイ服の晴れ着に着飾った女性たちのパレードが続き、色とりどり、デザインも豊富で踊り続けていた。
      右中央が一番の美人でした。 あつ! パレードは男性も同じく居ましたね。


タイ族女性の服は色彩もデザインも豊富。
  髪飾りもそれぞれで美しい。
タイ族当日No.1美女


水かけ祭りは観光客、外国人まで皆が一緒に楽しむお祭りだ。水をかける人かけられる人に何の差別も無い。私も水濡れのシャツを脱いで絞っていたらその背中に又バケツの水を かぶせられた。振り返って睨みつけても、そこに有るのは笑いだけ、カメラを水から守るのが精一杯だった。

2008年、今年はきっといい年になりそうな気がして来た。

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緊急報告!四川省大地震

2008512日の午後、私の住む雲南の隣の省四川省でマグニチュード8.0の大地震が発生した。

隣と言っても日本の26倍の国土を持つ中国、雲南省だけでも日本よりやや広い面積があり、ここから660kmも離れていて、地震発生時は迂闊にも気付かなかった。
発生8
日後で確認死亡者は40,000人を超え、未だ生き埋め行方不明者が多数あって最終犠牲者は70,000人以上にになるのではないかと心配される。悲惨な現地報道、犠牲者の悲哀を見るにつれ同情の念に涙する程で被災者には心から哀悼の意を表したい。

中央電視台では早くから「抗震救災」の名で救援活動の報道を流し、18日夜には芸能界、歌手を総動員した特別番組「愛的奉献」を組み、義捐金寄付の受付が放送された。被災地で孤児となった子供たちも急遽北京の会場まで登場させ、画面にはバックミュージックや感動のナレーションが付いていてた。その番組内で集まった義捐金は15億元(225億円)に達したとのことだ。

今回の災害は少数民族居住地が中心であり、中国人民の団結、中華民族の偉大な精神の宣伝もなされ、強大な祖国中国の愛国心を強固にする機会としても捉えられるのだ。


この阿バ州モン川は成都から九寨溝、黄龍へ向かう途中にある。私は以前中国人ツアーに参加したが中国人ガイドからこの土地がアバ・チベット族チャン族自治州との説明を受けた。

西安唐清池に立つ楊貴妃像


その時の話題で楊貴妃は実はチャン族だったと言う説明を聞いた。窓越しに見る街道沿いの町並みは意外と近代的建物で、不謹慎にも、街中に楊貴妃みたいな美人がいないか眼を凝らしたのを良く覚えている。


左: 華清池に立つ楊貴妃像


そこから少し先の茂県(1930年の地震で2万人以上が死亡)でバスが止まって休憩をとったがあの土地を今回の大地震が襲ったのだ。

昨年の初夏、成都から青蔵鉄道に乗ってチベットへ旅行した時、我々の寝台のコンパートメントには都江堰から来た中学校の30歳台の女性教師2名が居て二日間一緒だった。一人は英語の先生で盛んに英語を使って話しかけてきた。

この都江堰で中学校が全壊し、
900人以上が生き埋めになり3日後で100名近い犠牲者が出ていて、連日テレビで捜索救助活動の画面が流されている。未だ多くの生徒たちが生き埋めの状態だが「若しかして彼女たちの学校ではないだろうか?」など思いを巡らしている。

日本の26倍の国土、十数倍の人口が居れば自然災害、事故の確率、規模もまた大きくなる可能性が大だ。今年に入ってからも春節時の大雪災害、列車転覆事故、又チベット事件など、国が大きいだけに施政者の気の休まる時が無い。これから五輪の大祭典も控えていて国として大きな試練の時かも知れない。同時に又大国人民の団結を呼びかけ「雨降って地固まる」を願う時かも知れない。

1999年に台湾の台中で犠牲者4000人を越える大地震があった。当日朝台中出張の予定をしていた私は、朝のニュースを見て恐らく飛行機は飛ばないと高をくくって成田へ向かった。ところが飛行機はちゃんと定時に出発した。但し乗客は数えるくらいであたふたと撮影資材などを抱えた報道陣が主だった。

台北から台中まで救助のヘリコプターが上空を舞う高速道路をのろのろと進み、台中のホテルでは自家発電の薄暗い電気で食堂も閉鎖され、人々は屋外にテントを張って夜を過ごしていた。

その後広東省へ出張時に中国人に話したら、「何だ、その程度」と軽くあしらわれた。中国では1976年唐山の地震で24万人を越える犠牲者が出たそうで、確かに4,000人とは桁違いに相違ないし、そもそも比較の分母が違うのだ。
私の住む昆明の南
100k余りの通海でも1970年に15,000人を越える死者を出す地震があった筈だがそれ程悲惨な話は聞いたことが無い。

自然災害も大きいが、人災も又大きいし、危険度は異常に高い。山を削って道路は出来ても急ごしらえの急勾配で落石が常にあり、何時大きく崩れ落ちるかわからない。鉱山も、作業現場も安全管理はほどほどでコスト経済性重視、大国には大国のやり方がある。

それにしてもこの地震による経済的損失は、春節時の大雪被害と比べると地域が限定され、影響は大きくないとの一早い報道を聞くと複雑な気持ちになる。



地図に大書された幹線道路(省道)、
こんな道なら地図に載せて欲しくはないのだが。

耐震性は?
農家の新築現場、石を拾って積み上げる。
窓回りだけはレンガで最大の出費は窓枠代。

出来上がりは立派な2階建てになる。



雲南省のお隣ミャンマーのヤンゴンを襲ったサイクロンでは死者、行方不明者13万人を超える大災害になった。  

天災ばかりは何時降りかかるか分からないし、日本の地震も何時起きるかわからない。これも自然現象、地球の大地造成の歴史から見たら、豆粒にも満たない変化かも知れない。今回の震源地の直ぐ北に位置する夢幻の仙境、自然世界遺産の九寨溝、黄龍もまたこの様な自然の営みの産物の一つに他ならないのだ。

犠牲になられた方、被災者には慰めの言葉も無いが、何時か自分の身辺に起きても自然の摂理と受け入れるより致し方ないのだろう。


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