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日本・雲南聯誼協会
昆明東方語言文化学院
  生活のページ

ビルごと携帯売り場中から見た中国社会、市民生活の姿を見たままにお伝えします。

改革開放に躍動する沿海地区の中国でなく、内陸部の普通の中国と庶民の生活を通してのリポートです。
同時に外国人の生活上の情報、注意なども網羅していきます。
お読みいただくあなたもきっと中国通になれます。


☆掲載済み、★準備中です。
☆十二支の初めは如何して鼠?
☆小保姆として社会勉強
☆結婚適齢期と条件は?
☆食の安全で思うこと
☆割り込み優先の交通ルール
☆民間で築く相互理解
    
       世界一の携帯王国、         ☆雲南長期滞在、留学早分かり
      普及数は6億台間近。    
    ☆地震見舞い:皆さんの愛心を届けました

                      
                    







十二支の初めは如何して鼠?

雲南省瀾滄(ランツアン)地区では鼠は財物を家に持ち帰る利口で機敏な動物として認められています。

誕生日を表す干支の中で牛は体格も大きくて立派なのに如何して鼠がその前に来るのか?この地区では牛と鼠にまつわる伝説があります。

天上の玉王大帝が誕生日を現す12の動物を選んだ時、最初は牛が一番目に位置し鼠は選ばれてもいませんでした。鼠はこれに不服で常々玉帝の家の中の箱などひっくり返して暴れ周り、玉帝を落ち着いて休ませることは有りませんでした。そこで玉帝は12動物の最後に鼠を入れることに同意せざるを得ませんでした。

鼠は12動物の最後ではまだ納得せず、自分は身体こそ一番小さいけれども五臓もしっかりして度胸もあるから身体の大小で前後を決めるべきでないと主張した為、大帝は12の動物を一同に集めて街道を歩かせて、天官たちに判定させることに同意しました。

天官たちは虎の凶暴さに驚き、又蛇や龍には長さに感銘し、馬には素晴らしい身体を褒めました。犬や猪、羊、鶏、兎などにも優れた所劣る所など天官たちが皆で品評しました。

最後に残ったのは最高最大の牛と最小の鼠でした。街道にさしかかった時鼠は機敏に飛び乗り牛の頭の上に座って力を誇示し威勢を見せつけました。

誠実な牛が頭を下げて歩いて来た時、天官たちはやっぱり牛は最も大きくて肥えていると口にしたが、突然牛の頭に座って得意満面な鼠を見つけて、皆愉快に笑い出してしまいました。鼠は牛の頭を牛耳ることが出来る、意外にも鼠が一番大きいと異口同音に口にしました。こうして天帝は鼠を12動物の一番目に配列したのです。

瀾滄では老人の葬式、家の建前などの吉日として鼠日を選びます。鼠は何処へ出かけても必ず帰って来る。しかも食料を一杯背負ってきて帰宅し、財物が貯まることになるのです。

仕事始めその他鼠年が蓄財の年として広く言われる由縁がここにあります。

皆さんも今年の鼠年がいい年であります様に!


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小姆母(シャオバオムー)として社会勉強

農山村から出稼ぎで働きに出る人たちをさして農民工と言う。多くは精々数年単位の出稼ぎで主に単純労働に従事する。これらの出稼ぎ者のうち中学以上を出た人が80%を超えたと言うニュースが最近有った。逆に言えば20%の人は中学も出ていない小学校出程度の学歴で、当然彼らの多くは若い肉体労働者、単純労働が主体で出稼ぎできる年数も限られている。

例え社会保険制度の整った立派な企業で働いても、春節前には積立金の払い戻しで長蛇の列が出来る。出稼ぎ者の勤務期間は年金受給対象の15年間勤続する人は殆どいないし、そもそも帰郷に際し今すぐ換金できるものは全てを清算して持ち帰る。一つには深圳から上海、北京に転職しても社会保険制度は統一されていないし、じっくりと年金を受取るまでの生活費の工面を考える余裕などない。

農村では独生子政策は今でも厳格な統制はされてないようだ。女の子では跡取りにならないし23人の子持ちもざらだ。生育費名目の罰金も農村では大して高額ではない。都会では一人っ子が浸透して、高学歴、高級職種の人員は揃っても世の中には底辺を支える職種だってある。

今でも農村の女の子は中学の卒業も待たず、都会へ出て働くケースがある。その多くは家政婦(姆母)として都会の裕福な家庭で子守から家事を担当する。その未だ幼い子たち(小姆母)にとって初めての社会生活だし、実際には身体も心も成長期の大事な時期を働きながら過ごすことになる。

23年小姆母として大事な期間を過ごし、あるものは立派な大人の仲間入りをするし、安易に都会生活に染まるものもいる。

この子供たちのその後の人生の就業先は限られている。故郷に帰って若くして農家の跡取りに嫁ぐのは幸せかもしれないし、都会生活を覚えて今更田舎へ帰りたがらない娘たちも又数多い。しかし、商店の売り子でも高卒以上など要求される世の中で、安定した職業にありつけるのは非常に難しいようだ。

若いうちは未だ食堂の店員として住み込み、午前中は野菜や材料の下準備、昼と夜は給仕や皿洗いをする仕事なども有るが20歳を大分過ぎるとその仕事も続け難い。学卒でもない彼女らの出来る仕事は限られているし、器量がよければ手っ取り早く水商売で稼ぐ子も出てくる。

一人っ子として全ての子供が両親とその祖父母6人の期待を一身に受け高等教育、高等な職業に就くのは理想に違いない。その多くは祖父母両親共年金が保証されていて安定した未来がある。しかし、世の中には社会を支える底辺の仕事を担う要員も又必要なのだ。格差社会の解消、和階社会の実現が幾ら叫ばれても、現実に社会構成上それぞれの仕事を担う人間が必要とされる以上、小姆母もまた必要な仕事だろうし、同時に大事な人生教育の一過程かもしれない。

以前昆明市で小姆母を求める人が5万人以上有るのにとても需要を満たしていないとの報道が有った。男女同権の進んだ中国では夫婦が各々の仕事を持つ家庭も多く、子供の世話或いは年老いた母親に小姆母をつけている知り合いもいる。

身も心も未だ幼い彼女たちが踏み出す人生の第一歩がこの職業であるケースは非常に多い。願わくば出来るだけ良い雇い主に恵まれ、教育、社会勉強と共に健康な成長期を送って、その後の人生が幸せで有って欲しい。


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結婚適齢期と条件は?

農村の女性は若くして嫁ぐ、まだ初々しい子供としか見えないのに赤子を抱いているのを見かける。以前は農村では20歳を過ぎたら相手を探すのが難しいと言われた。しかし、最近は大分変わっている。

中国では一人っ子政策の影響もあり、男の子を欲しがるため平均でも男子115対女子100人と極端に男の出生率が高い。加えて農村女性は都会へ出稼ぎに出て、都会の便利な生活を覚え田舎に戻る人が少なくなった。

最近知り合いの26歳の女の子が田舎へ帰ったが、忽ち農家の跡取り息子たち8人を紹介されたそうだ。22歳から35歳までだが、年下も含めて農家の嫁探しの難しさが分かる。

都会では結婚適齢年齢は女性が25歳から28歳、男子が28歳から35歳と言われる。女性の適齢期は男性に比べて非常に短いし、上海では娘の婿探しの為両親がプラカードを持って集まる広場があるそうだ。男の子も女の子も一人っ子となると親たちも婿探し嫁探しに奔走することになる様だ。

これら都会の子供たちの場合、一人っ子で学歴も高く両家とも相手に求める条件も高くなる。両親とその又両親6人の期待がかかるため余計に難しい。

一方において最近は離婚率も非常に高い。都会の女性に聞くと「60%以上」と真顔で答える。実際に彼女の周りではそれだけ多くの人たちが離婚しているので大げさな表現では決して無い。

一つには甘やかされて育ち、お互い我侭同士かも知れない。女性が同権となり社会に出て働く為、女性上位の家庭も多い。男性は稼ぎが多くなると優しく若い女性を探す事情もあるようだ。男性の相手は学歴の低い農村出の若い女性のケースもあり、女性たちも田舎の生活を嫌い都会の経済力のある中年男性に付いて行くと言った構造が見えて来る。

都会の子供たちにとって両親や祖父母は年金の保証があり気楽な面が見える。一方農村では相変わらずの貧しい環境で生活保障も無い。彼ら一家にとっても娘が金持ちの旦那を持つことは決して反対することではない。

都会で失われた大家族制だが農村ではどっこい生きているし、家族で成功者、金のある人が出来れば一家が潤う。これを自然の摂理と言うつもりは無いが何処かでバランスが取れているなとついつい思ったりするのは私だけだろうか?


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食の安全で思うこと

戦後の農産物の増産は化学肥料、化学合成薬品や温室栽培、或いは遺伝子組み換えなど理科学の力に負うところが多いのではなかろうか。それが今残留農薬による健康被害や自然環境破壊として問題となっている。

戦後我々が子供の頃米国からDDTが入ってきて、女子生徒の頭は毛じらみの駆除の為真っ白にされた時代があった。これら化学合成薬品の毒性は害虫だけに効力を持つのでなく、全ての生物に等しく作用する物であり、それに気付いた先進国ではいち早く使用禁止にされた物も多い。しかし売れ残りの農薬が後進国に輸出されたり、又安価で効力の持続する農薬を覚えた後進国では中々その薬から逃れられない生産が続いた。
これらは全て人間が食糧増産のため作り出した物であり、今でも質より量を求めこれらの危険農薬から脱却できない事情にある国は沢山ある。


中国も衣食が足りる「温抱」の水準を脱し、まずまずの暮らしができる「小康」に入ったところにある。そのためには一人っ子政策など厳しい人口抑制を行って来た。森林を伐採し、湖水を埋め立てる「大躍進」の政策が採られた時代もあったし、水不足その他地球温暖化の要因も無関係ではない。このような犠牲の上で中国が基本的に食料の自給が可能となった。

我が国は食料自給率が僅か39%しかない食料輸入国だ。中近東へ出張し海老の産地として知られる土地に滞在しても、その海老は日本向けに輸出され現地では口にできないこともあった。飽食とは言わないまでも産地の貴重な食料が低廉な労働力により日本の食卓に上る事情も理解しておく必要がある。

今年は中国の毒餃子事件が大きなニュースとなり、すべての中国製冷凍食品がボイコットの対象となったのは両国にとって悲しい事件だ。中国も食の安全、特に輸出に関しては厳しい制度を設け、中国国内および輸出国の基準に合わない食品の輸出を禁じ、違反企業には厳罰の体制をとっている。そのためには原副材料、食品添加剤などの使用報告書、生産加工工程まで管理を徹底させるべく2007年末食品輸出企業に通達がなされた。

ただし毒餃子の事件は残留農薬、抗生物質の管理問題とか輸出入時の検疫体制云々の問題とは根本的に違う次元の問題だ。恐らくはどこかの段階で出来上がった製品に後から故意に注入された事件であり、食の安全のための管理とは切り離して扱うべきものだ。

今全ての残留農薬の検査をするには600種もの分析検査が必要となった。検査というのはサンプル調査であり厚生省の輸入食品検査では150梱包数で3個、1200梱包で5梱包を抜き取り検査される。それも検査項目によっては検査結果が出るのに4日間かかるので、検査機関の出張サンプリングの時間や、土日を入れると1週間港の保税倉庫に差し止めとなる。従って全ての貨物を検査することなど事実上不可能だ。

特に冷凍食品となると港について冷凍コンテナーのフリータイムは3日間だけしかない。1週間以上保税にするには冷凍保税倉庫に一度移し替え、検査結果を受けて通関許可後また冷凍車を手配して運ぶことになるが、それに対応するだけの保税倉庫など有る訳がないし、手配できたとしても莫大な経費増となる。さらに加工冷凍食品となると材料分析など検査方法、時間もさらに増えることになる。しかも1200分の5の検査で全てが安全になるのか答えは明白だ。

ことほど左様に報道で検疫検査体制を厳しくとか伝えても、事実は実施不可能なことである。食品の安全は検査で守られるものではないし、それ以前の生産の畑、農薬、添加材料、加工管理など全ての段階で輸出国に任せるだけでなく同じ立場で協力管理しなくてはならない。

検査が厳しくなれば、検査機関も間に合わず積み出しも遅れる。逆に日本から輸出された米は中国の港で2ヶ月間も通関できなかったが、品質の劣化や米虫など付かないか他人事ながら心配してしまう。中国のお米は1キロ4-5元で買えるが日本米は5キロ198元で売られる。需要があるなら両政府も自由な取引を奨励すべきなのに、お互いがガードを固め流通を阻害しては決して両国民のためにならない。

但し、日本のJA関係者幹部の言葉だと日本でも農薬漬けの生産は当然で、彼らの自家消費分は別栽培していると聞く。国産は安全農薬だけの使用で安全と言う性善説が本当に間違いないのかの心配もある。その他、国内でもかつてカネミ油症事件、森永ヒ素ミルク等が起きたが、これらは個別の事件であり日本全国の食の安全が云々されることは無かったはずだ。

結果として来るものは、輸出入時の検査や流通の費用増加は避けられないし、恐らく日本の台所の出費は相当の値上がりが避けられない。安易に国産化と言っても日本の国土、生産効率、資源には限りがあり結局は自分が苦しむことになりかねない。決して中国を身びいきするつもりでなく、食の安全はお互いに協力、理解と指導も含めた共存体制の確立こそ重要だと理解する。

話は逸れるが日本市場では一切の虫食いも許さず、きゅうり、なす等全て真っ直ぐ、形もいびつな物は無い素晴らしい農産物だが、消費者も自然の産物に対してはありのままを受け入れる度量と賢さも身につけて欲しい。真冬に夏野菜を食べるには多くの燃料が消費され、自然破壊、温暖化にも繋がる。私の提唱する「自然との共生」とは人間だけが生きる世界ではない。動物であれ植物にせよ自然界に生まれ育つ物である。人間だけの好みで彼らの姿形まで支配すべきでないし、それがひいては逆に人の生存を左右する応報が待っている気がする。

残留農薬の検査「ポジティブリスト制度」や薬品関係の実体については別項目にて報告させて貰う。

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割り込み優先の交通ルール

交通ルールは世界中同じと思ったら大間違い! 中国なら直ぐにでも轢き殺されます。

それは大げさとしても、そもそもこの国は自動車優先でした。金持ち優先、弱者虐待の制度とも言えるほど、歩行者は注意が必要です。

2004年に歩行者優先に制度改革がされたとは言え、実際には横断歩道を青信号で渡るにも突っ込んでくる車に撥ねられかねません。それも赤信号からの右折車まで蹴散らしながら突っ込んで来ます。法規から言えば「赤は止まれ」の筈ですが今でも車優先に変わりなく、文句を言っても撥ねられたらお終いです。

はらはらするのは両側からの割り込みがあります。車であれバイクや自転車であれ直進車より頭一つ先に出れば優先します。ここには恐らく一旦停止の車線は存在しません。直進車が来ていてもお構いなしに頭一つ先に出れば善いのですから一旦停止など必要ないかの様です。よくこれで割り込み車の横っ腹に突っ込まないなと感心しますが、直進より割り込み優先のルールが染み込んでいるとしか言い様がないですね。

ここではバスなどに乗るにも真っ直ぐ2番目に並ぼうものならウカウカすると最後まで乗り込めません。左から右から入ってきますし、確かにその方が乗り込み易いのです。それでも車内では我々年長者に対して若い人たちは気軽に席を譲ってくれます。先を急ぐ競争の場面では決して負けたくなくても、年長者に対する儒家思想の思いやりは生きていて日本での冷たさをつい思い起こします。

そんな話をしていたら、以前タイへ行っていた友人が自転車を押して横断歩道を渡っていてバイクに撥ねられました。幸い怪我はなかったもののデジカメが壊れてしまいました。しかも交通違反として500バーツの罰金の4割を負担させられ、タイから直ぐ中国に引き揚げて来ました。

交通ルールは国によって違うのです。例え法規で正しくても撥ねられたらお仕舞い、青信号の歩道でつい左右を確かめずに渡っていてヒヤリとさせられる等日本で染み付いた習慣は中々抜けませんが、彼らの車優先の習慣も抜けそうに有りません。

経済成長も何事も止まることを知らない国、周りが幾ら主張しても走っている物を止めることは不可能のようです。お国の事情、習慣に即したその国のルールですから、皆さんも海外旅行では気をつけましょう。

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民間で築く相互理解

新中国の誕生は抗日戦争と切り離しては話せない。中国国土の各地で激戦の末日本軍に抵抗して団結した組織これこそ共産中国の礎であり、折に触れその功績が宣伝される。

先の戦争は日本では遠く過去の話となったが、どっこい中国ではその惨禍と撃破進軍のシーンの露出度が多い。現政権の中国解放の活躍はその対象として日本軍を外しては話せないし、愛国、救国の教材として容易に消し去られることは無いようだ。

逆に言えば、日本ではその侵略の歴史は思い出したくない痛みかも知れない。戦争に正義も理屈もないし相手国に侵出してその国土人民に危害を加えるのは侵略以外にない。ただその歴史は60年を経て日本では既に過去の事となった。国家の首長たる総理大臣にせよ、本当の戦争の惨禍、犠牲者の痛みは身に沁みては感じてはいない。先の小泉首相時代に先方首脳との会談で過去の侵略に対する謝罪を述べるにも、心底謝罪する気持ちは持ち合わせていないし、口先だけでは相手に伝わらない。

今我々一般人が中国の老百姓(ラオバイシン=一般庶民)と交わるのに、先の戦争の話を持ち出される場面は殆ど無い。話をしても戦争が一部の政治家、軍人の過ちとして、我々庶民はお互い被害者として責められないという理解者が殆どでもある。

しかし、全ての中国人民が許しているのかと言うとそうでもない。中国人の団体に加わり参加した旅行で、筆者を日本人と分かった中国人がわざわざ観光バスの隣の席に座ってきた。40歳前後の彼の話だと彼の祖母(父親の母)はお腹に身篭っていた時、日本軍の兵士に銃で撃たれて殺されたと言う。それは彼の父親の目の前で起き、日本兵士が銃を構える姿を恰も彼自身が目にしたように話をした。父親の面前で起きた悲劇は息子の彼にも繰り返し生々しく語られ、彼自身の脳裏にも同じように残されている。

彼は「自分は絶対日本商品は買わない」と言った。彼の言う日本商品とは日本のブランドをつけた中国製品が殆どだろうが、そんな屁理屈は如何でもいい。彼がこれほど日本軍、日本人を嫌う気持ちは恐らく又彼の子供にも引き継がれていくかも知れない。この様な怒りに固まった中国人もいるし、彼らの中では先の戦争は決して過去のものではない。周りの中国人が「貴方のせいではない。テレビで“おしん”を見たが日本も中国も庶民は同じだ」との言葉には救われたが、根強い傷跡は決して忘れてはならない事だ。

我々も彼らも同じ人間、記憶もあれば感情もある。政治家は国の代表、素直に謝ることを出来ない立場も有るかもしれないが、少なくとも彼らの感情の奥底にあるものは理解しなくてはならない。謝罪の言葉を述べるなら素直に伝えるべきだし、この世に生まれた人として仲良くできる道を追求しなくてはならない。

中国の施政者も人民教育が反日だけでは逆に政権の安定の為にはならないことは十分承知している。だが侵略者たる日本に対して下手に出る姿勢は国のリーダーとして絶対見せられない。

両国は経済、食料、環境保全など隣国としてお互いに共存し、助け合い協力し合う立場にある。ただお隣と言っても政治体制、経済、文化、歴史、自然環境や常識まで全く異なることも理解しなくてはいけない。

政治を離れた民間外交では人と人、お互いを尊重し合い、友好の輪が結ばれるのに何の障害も無いし、むしろ遠来の友として暖かく接してくれる。
人の世は何処も同じ、民間の交流によりお互いの理解と融和が進み、本当の隣人、隣国の絆が太くなるように願う。


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雲南留学事情早分かり

中国に留学して中国語の勉強をする人は何も若い人に限ったことではない。北京、大連を初め中国各地に多くの熟年留学生が短期或いは数年の長期に亘って、語学を中心に勉強しながらこの国に住んでいる。

各地とも留学の条件は似たり寄ったりで複数の都市に留学される人も多いが、熟年者の場合は環境、気候に惹かれて雲南省昆明を選択される人も少なくない。

現在中国では中国語を学ぶ外国人を受け入れる大学が沢山ある。そもそも広い中国では広東語、上海語など地方や民族間で異なった言葉を持っている。この巨大多民族国家の言葉を統一する為標準語として北京語で統一しこれを普通語と呼ぶ。但し中国の各省都にある殆どの有力大学には海外留学生向けに普通語を教えるコースが設置されている。

雲南省の場合近隣のベトナム、タイなどから高校新卒の生徒が4年生大学の本科生として留学して来る者も多い。同時にこれらの近隣諸国の中国語教師のレベルアップの為、教師を研修生として迎え入れている。従って雲南省昆明と謂えども教室では中国標準語の教育であり、必ずしも普通語の本場である北京や大連に行く必要は無い。

1)大学

雲南には省を代表する雲南大学の他、雲南師範大学、民族大学、理工大学、芸術大学、昆明大学など沢山の国立大学、公立大学がある。有名校には中国の各地から生徒が集まって来る。特に雲南大学、師範大学は留学生の為の入門科から初等科、中級、高級まで沢山の教室があり、近隣諸国や日本、韓国、欧米まで国籍年齢も広範囲な生徒が同級生となる。

一般にはクラス授業で入門、初級、中級、高級に分かれ週16時間前後の授業がある。その他に授業料は高くなるが11の教室もあり、各人の希望とやる気次第でいろいろ選択できる。但し最近年齢制限で40歳以上は留学ビザが発行されない場合もあるので留学時確認が必要だ。

2)専門学校  

雲南で欧米人や熟年者を中心に人気が高い東方語言文化学院と言う語学専門学校がある。

ここでは毎日午前10時から12時まで週10時間のコースがあり、特に中高年者が左程プレッシャーも無く授業を受けられる。

3)授業料とビザ

専門学校の東方語言文化学院では半年19週、週10時間の授業で3800元、1年で7600元と手ごろで、年齢に関係なく授業料を払った期間の留学ビザが取れる。

雲大、師範大では時間当たりの授業料はほぼ同額だが、上課の時間が長い為授業料はその分高くなる。日本人は2週間ビザ無しで入国でき、学校で入学手続きをして留学ビザに切り替えられる。半年を越えるビザ申請には健康診断を受けるが、学校指定の病院で必須項目をチェックする為日本で受けて来ても無駄になる。

ビザ切れは違法滞在で厳罰に処される為忘れずに手続きをすること。最近でも2名が処分を受け、罰金と国外追放などの処罰を科されたので特に注意が必要だ。

3)宿舎、ホテル、アパート

雲大など留学生宿舎が完備しており、初めて来られる場合は入寮がお勧めだ。学校内では独特の学舎の雰囲気もあり、中庭では太極拳の輪に加わる事も出来る。50元程度の部屋から2ツ星ホテル並み(ツイン100元程度)の部屋まで、住むには苦労しない。学校外にも繁忙期でないなら1泊100元程度で泊まれるホテルも探すことができる。

半年以上の長期になれば一般のアパートを借りることも出来る。家具無しの部屋から家具、電気製品付まで揃っていて留学生用なら2DK程度が月額1000元前後から見つけられる。但し、不動産屋の仲介費1月分、敷金が家具次第で13ヶ月分程度要求され、家賃支払いは半年或いは1年の前払いが必要になる。

尚観光旅行で四つ星クラスのホテルに宿泊する場合も現地で予約すればツインで300元程度から予約できる。日本語ガイドが一日200元、その他観光旅遊バスなど現地手配をすれば格安にグループ旅行が設定できる。


4)アパート設備

普通の部屋はタイル張りの床だが、部屋探しのチェックポイントとして寝室だけは板張りの床がお勧め。又風呂場は通常バスタブが無い部屋が多い。湯沸しは太陽熱の温水器付が多いが天気次第ではお湯が使えない為、電熱の温水器付をチェックする。風呂桶や温水器が無くて自分で取り付ける場合のスペースの確認もしておく必要がある。

簡単な家具や設備の購入費は意外と安い為、長期滞在なら設備無しの部屋を安く借りた方が割安となる場合もある。

5)相互学習

語学留学と言っても、何も学校だけが勉強の場ではない。中国人との交流もあれば、旅行や買い物その他現地ならではの機会も多い。特に日本語を学ぶ学生とお互いに中国語、日本語の相互学習の時間を持つのも非常に有効だ。普通はお互いの勉強の為授業料など必要ないが、立場上若い学生に食事、お茶をご馳走したり、僅かばかりお礼をすれば相手も喜んで付き合ってくれる。

日本では若い人は年長者に対して中々付き合ってくれないが、儒教精神の根強い中国では年長者を大事にしてくれる。これらの生徒と相互学習、応援して彼らの実家に招かれたり、末永い付き合いをしている人も多い。

6)新しい世界

こう書いてくると如何にも勉強目的の留学の薦めになってしまうが、昆明留学の一番の売りは周辺の環境です。石林その他の日帰りコースの他、大理や麗江、シャングリラ、西双版納などここを拠点に素晴らしい観光地回りが出来る。留学生の立場でその国の文化、社会を勉強し又名所旧跡を回り、物価の安い所で(1月10万円以下で)悠々自適の生活を送れるのも海外に住むメリットでもある。狭い中での生活からより視野を広め、新しい知識の刺激を受けながら活き活きとした新しい世界を見ることが出来る。

自分の殻を脱ぎ捨て、海外に出なければ決して見ることの出来ない新しい世界に身を置くのも健康だからできる恩恵かもしれない。これから定年の節目を迎えられる団塊の世代にも、身も心も健康に、新しい世界に飛躍されるよう応援したい。

空港出迎え、宿舎/ホテル予約、入学手続きまでサポートが必要な方はメールにてご遠慮なくお問い合わせ下さい

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四川地震:皆様の愛心を届けました。

昨年5月発生のの天災は地震国の我々日本人にとっても他人事ではない。

管理人の参加するNPO法人日本・雲南聯誼協会の雲南支部会員名儀で、皆様からお預かりしていた雲南支部活動資金(RMB1,272)を協会東京本部と相談の上、雲南省赤十字会に寄付しました。

私の住まいから直ぐ近くに雲南テレビ局があり、その中に雲南省赤十字会の抗震救済の義捐金受付窓口が特設されていました。

       雲南紅十字会の寄贈証書には国家主席、胡錦濤の名が記されていました。

日本・雲南聯誼協会は雲南省の少数民族の教育支援を主目的とする非営利活動法人です。会員500名余りの会費と、企業個人様の寄付金、及び昨年は外務省のODA資金の援助があり、雲南省内で既に16の小学校を建築寄付しました。

今回の資金は雲南省へ留学された方々の入学紹介のお礼として、東方語言文化学校より頂いたもので、留学生の方々の授業料が原資となるものです。今後も紹介料の使途につきましては上記協会活動資金への寄付、或いはご本人の歓迎食事会への支払いなどご本人のご意思を尊重して使わせて頂きます。 

尚、紹介料の支払いは個人の直接入学手続きでは一切優遇がありませんので、今後留学などご検討される折にはご相談下さい。

1,272元は日本円換算では20,000円に満たない金額です。但し当地の物価では500mlのミネラルウオーターが1,272本買えます。お米なら300キロも買えますから被災地の方々の救済に幾らかは貢献できるものです。

被災地の方々にお見舞いを申し上げると同時に、災害からの復興再建、住民子供達の立ち直りを祈っている。


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